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 第8回(番外編) 今でも残る幸手宿の町家は『味噌屋』だった!?

●平井家 (中3丁目)

 中心商店街通りの宅地の形は、細長い短冊形で、通りに面して、店舗と居室のある主屋を置き、その奧にいくつかの蔵や物置を一列に並べているのです。また、通りの東と西側の建物の配置は、日照の関係で違いがあります。
 主屋以外の付属屋としては、離れ(居室)、物置、便所等があり、庭に一角には井戸が掘られています。屋敷の奧は、たいてい祠(ほこら)があり、その先が裏通りになっています。
 

>> 平井家正面

 建物は屋敷の北側に1列に配置され、南側にある建物(ポケットパ−ク側)は、水屋だけ。水屋内にはかつて、かまどと風呂がありました。かまどの名残は現在もあります。
 また、庭には井戸と祠があります。井戸はカスリーン台風(昭和22年)の後、出なくなったそうです。

 

 一般的に家の間取りは、間口の広さや商売の内容によって、道路に面した店舗部分の造りは多少変わってくるのです。また、店舗が土間と座敷からなっています。
 
 平井家は、大正11年の建築で瓦葺き桐妻造りの二階建て。通りに面した左側(北側)は10畳の座敷、右側(南)はほぼ同じ広さの土間となっていました(現在は応接間)。
 座敷には帳場が置かれ、土間は穀蔵に入りきらない米俵を積んでいたそうです。この座敷と土間が、かつて商売を営んでいたお店部分(味噌屋)です。
 お店の座敷の奥は、3つ
の部屋が一列に並んでいま
す。中の間(6畳)には金庫が置かれ、ここがご主人さんの部屋として使用。奥の間には大きな神棚と仏壇があり、建物の中で最も格式の高い部屋でした。
 2階は4つの部屋があり、1階とは何と!3箇所の階段で行き来することが出来ました。2回の天井板は、「屋久杉」が使用されています。
上図…平井家間取り
※画像をクリックすると大きくなります。

【屋久杉を用いた天井】   【蔵の入り口「蔵前」】
 2階の天井部分は、屋久杉をふんだんに使用しています。年輪部分がはっきりと見えます。    居室部分から、蔵(文庫蔵)に直接入ることができます。この他に、穀蔵があります。
(画像上↑をクリックすると拡大画像が出ます)
 部屋は内部ですべてつながっていますが、建物の構造上は二つの建物をつないだ格好となっています。土間を含めたお店部分とその奥の部分とは、棟が二つになっていています。
 前者の棟は、旧日光街道と平行ですが、後者の棟は直角方向になっているのです。このように二つの棟を直角につないだ造りは、町家では珍しくないといわれています。

【瓦】   【ポケットパークより】
(画像上↑をクリックすると拡大画像が出ます)
 
 

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